海外経験もない北海道の学生がUWCを卒業しミネルバ大学に進学することになったきっかけ

こんにちは、片山晴菜です。

前の記事で少し触れた通り、私は北海道札幌市で生まれ育ちました。地元の高校を退学したのち米国UWC-USAに進学するまでのおよそ17年間、海外経験も無ければ 英語で学ぶ環境に身を置いたこともありませんでした。周りの友人はみな スポーツや学校の勉強に励んでいた一方で、私は募金活動に奔走したり、国連でMDGs(国連ミレニアム開発目標、SDGsの前身)の研修を修了したり、と様々なことに手を出していました。するといつからか、同学年や後輩の保護者の方から「うちの子は遊んでばかりで何にも興味を示す様子が無くて。どうしたら色々なことに外向的に挑戦するようになるでしょうか」と相談されるようになりました。

スポーツや芸術・学問に一生懸命取り組む生徒や、わき目も振らず受験勉強に励む生徒を否定するつもりは全くありません。何か目標や好きな事があって、それにひたむきに努力する生徒や同級生のことはむしろ心から尊敬していますし、読者の方には私の言うことだけを鵜呑みすることの無いようにして欲しいと思います。

ただ、道外に出ることに抵抗が強く、保護者も子供も地元“エリート”志向の根強い北海道では、課外活動や海外留学に対する関心は首都圏と比べると圧倒的に低く、そもそもそういった選択肢があるということすら知りません。この記事では そうした生徒の選択肢や可能性といった部分を広げるための一つのアプローチとして、生徒が「学校」という括りの外の世界に飛び込むことを提案しています。

そこで先ずは両親に海外経験がある訳でもない私がUWCを卒業し、ミネルバ大学に進学するという妙な進路選択をするに至った経緯、私が幼い頃より様々な事象に興味を持ち、学校の枠を超えて色々な活動に挑戦してきた動機についてをお話しします。

校外のコミュニティーの重要性

学校は入門編としての学問や受験に対応する知識の取得、また人間関係を学ぶ上で重要な役割を果たしますが、国内の一般的な学校で児童/生徒/学生が得られる知見は限られているように思えます。そうした学校教育を受ける中、私が小学校低学年で初めて環境問題や難民問題などについて興味を持ったのは、校外での出来事に要因がありました。

私はガールスカウトという団体に幼稚園年長時より所属していました。ガールスカウトとはボーイスカウトの姉妹団体で、現時点では女子のみが参加できる団体です。野外活動や街頭での募金活動を主な活動内容としてイメージされることが多いガールスカウトですが、その活動内容は地域での奉仕活動から世界的な社会問題解決の貢献、と多岐にわたります。

私が7歳の時に「難民」という言葉を初めて知ったのも、当時ガールスカウト日本連盟が全国的に取り組んでいた活動の一つ「Peace Pack Project」に参加したことがきっかけでした。このプロジェクトはタイに住むミャンマー難民の子どもたちに文房具を送るというものでしたが、毎朝私が「布団から出たくない」と駄々をこねて学校に通っていた世界の裏側で、学校に通いたくても通えない同世代の子どもたちがいることに非常に驚きました。それからの数年間は、私が当時通っていた公立の小学校で このプロジェクトの宣伝をし、クラスをまたいで文房具の寄付を募っていたことを今でも鮮明に覚えています。他にも 植林や地域清掃を通して環境問題を意識したり、ユニセフ・ラブウォーク等のイベントに参加して自分たちで水瓶を運んで歩き、発展途上国のインフラの整備状況を体験することで貧困問題に触れたり、と幼い頃より校外のアクテビティーに多数参加し、様々な社会問題に触れる機会がありました。

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当時6歳、ガールスカウトの集会にて。おてんばで色んな人に迷惑をかけていた。

小学校4年時には札幌市内のガールスカウトが一堂に会するイベントの実行委員としてMDGs(国連ミレニアム開発目標)を学びました。飢餓の撲滅や初等教育の普及等、世界の社会問題について より現実味を増した理解ができるようになり広義での「国際協力」に学術的な興味を抱くようになりました。MDGsについての理解をさらに深め、社会に発信していきたいという思いが強くなり、中学2年時には少年少女国連大使として国連本部やUNICEFなどの国連下部組織で一週間の研修を修了し、帰国後は学校の生徒や市民にむけて啓蒙活動を行うまでに至りました。

これらの知識は、私が小学校・中学校の教科書や校内の友人との繋がりだけでは学べなかったことです。校外のコミュニティー、私の場合はガールスカウトという団体に身を置いたことで、様々な活動および人との関わりを通して興味の対象が広がりました。

一つのコミュニティーから別のコミュニティーへ

また、高校1年の秋には模擬国連の全国大会に参加する機会にも恵まれました。しかし当時応募段階では模擬国連という言葉すら知らず、道内で模擬国連部のある高校は一校も確認できませんでした。ただ国連という言葉に惹かれて一から競技のルールを学んだ上で参加しましたが、全国の参加者と大会後にSNSで繋がった後、私と彼らの住む世界の違いに愕然としました。まさに「井の中の蛙 大海を知る」といった具合で、首都圏や関西の進学校出身の大半の参加者は、哲学オリンピックに参加したり、政治における女性の地位向上を促す学生団体を運営していたり、と道内の高校では考えられないような活動をしていた生徒ばかりで、私も彼らのような仲間と切磋琢磨する生活を送りたいと自然に考えるようになりました。(私が属したコミュニティーの人間が、たまたま私の向上心を刺激してくれるようなメンバーだっただけであり、やみくもに模擬国連や課外活動をしている人間が偉いとう訳では決してありません)

また予て偏差値だけで個人を評価する日本の大学入試制度や、硬直した教育カリキュラムにも疑問を抱いており、他の国の教育制度を体験してみたいと思っていました。これらを考えていた時期に運良くUWCのことを知り、UWCのミッションに共感した世界中の仲間となら理想の環境でお互いを高めあえるだろうと考え、無謀にも海外進学への舵を切ることになりました。

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柳井正財団」同期奨学生と。この財団も私の一つの「コミュニティー」であり、全米各地で奮闘する仲間の姿は私の原動力にもなっている。

初めはガールスカウトという一つの団体だけに所属していたのが、そこで発掘した自分の興味のある事柄をきっかけにたくさんのことに挑戦するようになりました。その際に属したコミュニティーでの経験を機に、より高い嶺を目指そうと新たな地で新しい仲間と更に異なる挑戦に挑む。私がミネルバ大学に進学することになったのも、その繰り返しがあったからこそだと信じています。

そしてこの7月、新たなコミュニティーが日本で発足しました。

1100人から選ばれた、96人の若き異才集団

“「高い志」と「異能」を持つ若者が才能を開花できる環境を提供し、未来を創る人材を支援する” —— この壮大でありながら明確な目的のもと孫正義氏は「一般財団法人 孫正義育英財団」を設立しました。役員には棋士の羽生善治氏、山中伸弥 京都大学iPS細胞研究所所長、五神真東京大学総長、みずほフィナンシャルグループ 佐藤康博社長兼グループCEO、三井住友銀行 國部毅頭取兼最高執行役員といった各界のビッグネームが名を連ね、総掛かりで新世代のリーダーの支援にあたります。初年度となる今年は1100人超の応募があり、そのうち8歳から26歳の96人の若者が支援人材(財団準会員)として選ばれました。

渋谷の会員施設には書籍や論文に加えて、3Dプリンタ(ULTIMAKER 3 EXTENDED)、Pepper、VR(VIVE)、AR(Hololens)、スーパーコンピュータ(DGX-1)等のガジェットが常設されており、自分のアイデアをすぐに形にできる環境が整っています。7月28日には当施設で財団の開設記念セレモニーが行われ、私も出席しました。孫正義育英財団を奨学金等の支援財団と考えている方も多いようですが、私は本財団を「多様な角度から社会の発展を目指す同世代の仲間と交流する場」と捉えています。開設記念セレモニーにおいては、他の場所では出会えなかったかもしれない、あらゆる分野の未来の牽引者と交流を図ることができました。世界的に有名な科学誌に自らの論文が注目の論文として掲載された経験のある大学生および若手研究者らに加え、「12歳でアレルギーのアプリ開発をしU-22プログラミングコンテストで経済産業大臣賞を受賞した中学生」「14歳で3社のベンチャー事業にエンジニアとして加わり、最近はUCLでゲストスピーカーとして招待を受けて講演したり、自ら立ち上げた決済サービス関係の新事業を展開したりする16歳の高校生」や「アプリ開発で会社に約2億円の売り上げをもたらした18歳の女マークザッカーバーグ」「高校生の時よりロンドン大学で自閉スペクトラム症の研究に携わり、国際青年脳科学協会の副代表理事も務める大学一年生」など、そうそうたる実績を持つ「異才」が集まっています。

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「孫正義育英財団」開設記念セレモニーにて。瞬きしているが、私は左から2番目。(孫正義育英財団事務局撮影)

私の通うミネルバ大学は創立4年目で、200人程度の非常に少ないクラス単位で世界7都市に移り住むので他学年との交流に欠いています。多様な角度から社会の発展を目指す幅広い世代層と交流する場に欠けているとも言えます。私の新たな「コミュニティー」となった孫正義育英財団をその交流の場とし、異なる専門分野の知見や観点を持ち寄ることで、それぞれが取り組んでいるプロジェクトを更に発展させたり、会員同士がタッグを組んで新たなことに取り組んだりと、切磋琢磨する中でお互いに良い刺激を与えあう関係性を構築していきたいと考えています。それが結果的に財団のコミュニティーを越えた 社会の向上に繋がると、私は信じています。

また、私は自分が特に「異才」を持っているとは思いませんが、ひとまずは日本人が誰も未だ体験したことのない、ミネルバにおける世界最先端の教育の仕組みや思想、7都市で学ぶ中で得られる知見を財団および社会に還元したいと思っています。異才に囲まれたこの恵まれた環境でどんな化学反応が起こせるか、とてもワクワクします。みなさんは自分を奮い立たせてくれる環境に飛び込んでいますか?

さて、サンフランシスコに来て一週間のオリエンテーション期間が過ぎ、大学では本格的に授業が始まりました。上級生から聞いてはいましたが、リーディングやリサーチの量が多く、内容も理解に時間を費やすものばかりで、午前中しか授業が無いのに1日があっという間に終わります。でもその分やり甲斐が感じられるので、1年後の成長が楽しみでなりません。これから本格的に、オンラインの授業の内容と仕組み等 ミネルバの内情をみなさんにお伝えしていこうと思います。それでは。

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